ホワイトカラーは職を追われるか
20世紀までの技術革新は、主に肉体労働や単純労働を代替するものであったが、20世紀後半に起こった情報科学という技術革新は、知的労働を代替するものである。21世紀においては、コンピューターによってホワイトカラーは職を追われる可能性がある。
21世紀のコンピュータは柔軟で、不正確な入力やあいまいな問い合わせに対しても、徐々に答えてくれるようになっている。Googleの検索の窓に綴り間違いのキーワードを入力すると、それをもとにシュミレーションしてくれるのも一例である。
あと数年すると、人間の脳全体の計算パワーを超えるスーパーコンピュータが登場する。やがて、1台の家庭用コンピュータが人類全体の計算パワーを凌駕するとも予測されている。
現在のホワイトカラーの仕事の半分弱はコンピュータが担うようになると想像される。
人間はどのようにすれば良いか
コンピュータの発達に対し、人間は「コンピュータが苦手で、しかも能力によって労働の価値に差異が生まれるようなタイプの能力」で戦わざるを得ない。
コンピュータは、暗記と計算、パターン認識を得意とする。一方、脳の働きの内、論理と言語を駆使して高度に思考し表現する仕事を苦手としている。また、人間にとって容易な、見る・聞く、感じるなどの五感を使った情報処理も比較的苦手である。
身体性を必要とするような職業は、知的作業部分よりも、見る・聞く・感じるなど人間が無意識かつ連続的に行っている情報処理の部分がネックになり、ロボットによる代替は難しい。
一方、身体性を必要としないホワイトカラーの仕事は、コンピュータの本格的な登場によって、上下に分断されていく。つまり、人間にとって簡単でコンピュータには難しい仕事と文脈理解・状況判断、モデルの構築、コミュニケーション能力等を駆使する仕事に分かれる。
コンピュータとバッティングするような職業領域しか選択肢のないタイプの人々は、仕事を失う可能性がある。
これからは「言語としての数学」が身を助ける。これは、不確実性を表現するために確率や統計をどのように使えば良いのか。言語としての数学はどのように成り立っているのかという基本的なことを理解することである。
コンピュータに「思い」をプログラムして、使いこなすための言語こそ数学であり、その基本を理解することが重要である。