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2011/11/11更新

アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝

266分

1P

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内気な中学、高校時代

ウォズにとって、一番楽なコミュニケーションは優れた設計をして見せることだった。エレクトロニクスなどですごいと思わせたり、いたずらしてみせたりすることで友達を作ろうとしていた。

高校の授業時間、サニーベールにあるシルバニア社で初めてプログラムを書いた。本当のコンピュータに触れるなんて、夢のようであった。ある日、シルバニアで、「スモールコンピュータハンドブック」というマニュアルを見つけた。この時から、マニュアルを参考に、紙の上で設計を繰り返す人生がスタートした。ウォズは、『マニュアルを見つけたのは、僕の人生で1,2を争う幸運だった』と語っている。

自由だった大学生活

コロラド州立大学に入ったが、2の累乗を印刷するプログラムを作って大学に多額の損害を与え、1年で大学を辞めなくてはならなくなった。
学費を稼ごうと考えたウォズは、テネット社で、FORTRANとマシン語を使い、プログラミングの仕事を始めた。この時、人生で初めてコンピュータを作った。友人のビルのガレージで、クリームソーダを飲みながら作った「クリームソーダコンピュータ」だ。

この「クリームソーダコンピュータ」がきっかけとなり、スティーブ・ジョブズと出会うことになった。ビルの紹介で3人で会い、それまでのいたずらの数々や、どんなエレクトロニクス機器を設計したかなどを延々と話した。

『いや~、似てるなぁって思ったよ。彼を気に入っちゃってね。あのころの彼は痩せすぎだったけど、エネルギーの塊って感じだった。』

ヒューレット・パッカード時代

入社してしばらくすると、ホテル用映像システムのデジタル部分の設計の仕事が回ってきた。カラー信号の処理の仕方を必死に学んだことが、アップル・コンピュータを作る時に大いに役に立った。

HP社に入社しても、家に帰ってはエレクトロニクスのなにかを作り続けていた。入社2週間前に作ったダイヤル・ア・ジョーク(ある電話番号に電話すると、自動音声対応でジョークが聞けるシステム)は傑作で、お気に入りだった。たまに、直接受話器を取って自分でジョークを言っては楽しんでいたが、そこで最初の奥さんと出会うことになった。

また、自分用のポンゲームを作ったこともあった。テレビに外部出力端子がない時代、テレビスクリーンの白黒ドットをコントロールすることでゲームを可能にした誰かを尊敬した。

コンピュータ革命が始まった日

コンピュータ革命は、1975年3月、ホーム・ブリュー・コンピュータ・クラブの第1回会合が開かれた日に始まった。エンジニアが集まり、コンピュータで世の中を変えようと語り合った。この会合から帰って直ぐ、1人でのちにアップルⅠとして発売されるコンピュータの設計を始めた。