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2019/12/18更新

billboardを呼んできたサラリーマン 電鉄会社の傭兵たちが作った夢の棲家

183分

2P

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ブルーノートとの契約

結果的に、阪神電鉄がこの事業計画を採用したのは、当時の阪神グループがまだ体験したことのない領域へ挑戦することで企業内部の期待形成システムを構築できるという期待があったからに他ならない。つまり、何か面白いことをやってくれそうだな、という期待感を社員たちに持たせたかったからだ。

ブルーノートが選ばれたのは偶然から始まった。1988年、神戸市役所から六甲アイランドの土地取得コンペの情報を仕入れ、そのコンペ提案の内容を作成するために渡米した時、案内役を務めていた阪神エアカーゴの現地社員がブルーノートのオーナーと知り合いだったことに始まる。その後、阪神電鉄はブルーノートを出店させようとしていた六甲アイランドのコンペに落選してしまう。

ブルーノートは1店舗目を東京に出店させたいという強い意志があり、阪神電鉄がもたついている間にブルーノート東京店はあるアパレルメーカーがライセンス契約を締結した。ブルーノート東京店オープンから5ヶ月後、阪神電鉄もブルーノートと正式にライセンス契約を結んだ。

赤字続きのスタート

ブルーノート大阪店を開業するにあたり、久万社長からは3つの約束をさせられた。

①すべての業務を直営で行うこと
②累積経常赤字が5億円溜まったら会社を潰すこと
③他社ビルのテナントに入ること

1990年7月、いざ開業してみると、アーティストの集客数の読み違いやギャラや交通費・宿泊費がかさみ、収益をあげられないという現実が待っていた。そうそうたるアーティストが軒並み1週間で数百万円から数千万円の赤字となり、2億円を1年で使ってしまった。あまりにも速やかに資金がなくなっていくため、個人会員100人と法人会員を本社と共に300社集め、預託金数億円を資金繰りに回すなど自転車操業が続いた。リスクの高さゆえに、いくつかの会社が同様のジャズクラブをブルーノートのあと開業させたが、ほとんどの店舗はすぐに撤退している。

それでも3年目に入ると、やっとのことで単年度経常黒字を出し始めるが、債務超過の状態は続いた。

横展開でコストを分散する

エンタメはどんなに素晴らしいアーティストでも、興味がなければ招待券をもらっても行かないという現実がある。少しでもお客様を増やすためには、せめてジャンルが合えば来店してくれるような来店動機でお客様を作る必要がある。そのためには、入場料を安くしてお得感を維持しなければならない。できるだけ一度の来日で複数場所で公演を行なえる仕組みを作り、来日アーティストのコストを分散する必要があった。

経営状況が悪かったため、大阪ブルーノートでは、ジャズ以外のアーティストを呼ぶことが増えていった。こうして、ジャズにこだわったラインナップでは稼げないと考え始めるようになった。